長野県長野市生まれ

海外旅行が大好きな祖父母の存在があり、幼少期から海外旅行への興味は自ずから持っていました。

両親も旅行好きで、度々海外旅行に連れて行ってもらい、遠い世界への憧れを強く持った私の将来の夢は、小学校の頃から『客室乗務員になること』でした。
注)客室乗務員と添乗員は混同されがちですが、 客室乗務員=飛行機機内でサービスを行う 添乗員=ツアーに同行する 異なる仕事です。

幼少時

高校時代、母にツアーでイタリアに連れて行ってもらい『添乗員』という仕事があることを知りました。
17歳の私にとってのイタリアは、ファッション、人々の感覚、その他諸々日本と異なる点が多く「こんな世界もあるのか」と強烈な印象であったと共に、色々な国・色々な文化に触れてみたいという好奇心が刺激されました。

そんな私の中で大きな転期となったのは、高校時代の文化祭実行委員長の経験です。全校生徒約1,000人が在籍する高校で、どうしたら活動に興味関心を持ってもらえるか?どうしたら話に耳を傾けてもらえるか?どうしたら全員の気持ちをコントロールすることができるか?ーーそれを考え、実践することがこの上なく楽しく、夢中で挑んだ毎日。
『あっと言わせるパフォーマンスで、まずは興味関心をくすぐる』
『聞き手の心理を予想し、心に届くテンポ・抑揚・動作でスピーチをする』
その後の添乗員キャリアの原点となる経験が、この時代にありました。

添乗員を始めると、誰しもが「タダで旅行に行ける」ことが添乗員という仕事の喜びだと思い込みがちです。私も国内添乗をしていた駆け出しの頃は、行ったことのない場所に訪れることが本当に楽しく、毎日があっという間に過ぎていきました。
キャリアアップして海外添乗員になると、様子は一変。知識不足で赤点ばかりつけられ、想像以上に辛いこと、苦しいことが沢山ありました。わずかに積み重ねていた自信は完全に喪失。クレームも散々頂き「添乗員なんて辞めたい」と思うようになります。

それでも、就職当時に感じた『自分にはこの仕事が向いている』『天職だ』と思った自分を、諦めたくない。自分に足りないのは、知識だと悟り「これだけ勉強できるなら、高校時代にもっとやっておけば人生が変わったのでは」と思うほど、毎日毎日勉強をしました。

ある程度知識がつき、旅行先のバスの中でお話がまともにできるようになったある日、ご年配のお客様から「先程のお話、大変興味深くお聞きしました」と仰って頂くことができました。その頃を境にお客様からの視線がガラリと変化。添乗員の本当の喜びは「貴方が添乗員だったから楽しめた」と仰っていただける『やりがい』にあると、ようやく気づくことができたのでした。

添乗員へ

旅行経験・旅先に関する基礎知識・その旅への期待値・各種トラブルの想定などをどの程度お客様それぞれが持ち合わせているかは千差万別。『お一人お一人の予備知識や性格を考えながら、目の前の「旅」が最大限楽しめるような情報を、的確にしっかりと伝わるように提供をしていく』これにより、旅行というものは驚くほど満足度が変わってきます。

この様に「時間」「空間」を共にするお客様それぞれが楽しめるよう環境を整えながら最高の旅に仕立てるのが、添乗員という仕事の真の醍醐味です。
『人気添乗員』としてツアーに出させていただけるようになった頃には、自分の中で何か一つ達成されたような、そんな満足感がありました。

添乗員の日々
添乗員の日々
添乗員の日々

夢中で世界中を巡った20代が過ぎ、気付けば30歳で訪問国は126ヵ国。
結婚・出産への憧れもあり、また「添乗しかできない自分」にも不満があり添乗からいったん退くべきタイミングと感じました。

世界を見てきたからこそ再認識する事ができた祖国『日本』の魅力。当時はインバウンドの盛り上がりもあり、インバウンドの旅行を取り扱う会社に転職。
インバウンドの状況、課題、難しさも理解しましたが、それよりも強く感じたことは『自分は、お客様と接し・話す事が好きだったのだ』という発見。
添乗員ではない方々との初めての職場でのコミュニケーションから「これまで積み上げてきた経験と知識を多くの方に伝えることこそが私にしか出来ない特別な事なのかもしれない」と思い始めました。

子育てを始めて間もない頃、世の中ではコロナが蔓延し始めました。誰かに話すこと・伝えることが好きで堪らない私が、まだ歩いて間もない我が子の面倒を見つつ外の世界と繋がる唯一の手段がSNSでした。
「どうせ忘れてしまうなら、備忘録代わりにアップロードしよう」と思い始めたのが、YouTube。乳幼児子育て中のとてもお見せできない散らかった部屋、元気な声や騒音。
それらをシャットアウトできる唯一の空間『トイレ』から撮影・放映していたのも、今となっては懐かしい思い出です。

思いがけず多くの方に「有益な情報」と捉えて頂くことができ、気が付けば『旅行系インフルエンサー』という存在になっていました。
アマチュアの方も多い旅行系インフルエンサーの世界に於いて、「日本・世界を見てきたからこそ伝えられるもの」「現場を一番知っているからこそ持てる視点」を大切に、プロならではの旅全般を多角的に捉えた情報発信を行いたいと思っています。

最後にーーー
よくいただく質問に「世界中訪れて、どの国・街が一番良かったですか?」というご質問があります。
その答えこそ、私が今住んでいる日本、そして移住しなおした生まれ故郷の長野市です。

この国に、この街に、戻ったからには、観光立国の一員を目指し尽力して参りたいと思います。

好きなもの;お酒、アート、音楽、旅行   趣味;バイク、ZUMBA

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